No.6/2004年10月4日
絵と文:香泉

旅の途中、必要な語学を勉強するため
下宿屋に間借りして2カ月近く経った夜でした

「20ドルくれよ」
部屋に入ってくるなりベッドに寝転がった彼は
太々しさとは裏腹に私から目を背けています
下宿屋の息子でした
二十歳を過ぎてまだ間もなく
ふだんは少年の於母影を残している青年です
何か楽しいことを思いついたときなど
きまって茶色の瞳をきらきらさせては
軽口をたたくのがつねでした
「お金が欲しいなら働きなさい」と言うと
「ここに仕事は無い」ちくりと刺す眼差しです

昔は大工の町として名高かったこの土地も
今ではその材料となる木は外国に売り尽くされ
残されたものは古都という看板だけでした
しかも、観光地としての賑わいは
年に一度の盛大な宗教行事しかありません
そこで、新たな産業として精彩を放ったのが
外国人旅行者向けの語学学校でした
部屋数に余裕のある家々が下宿屋を営むことで
様々な国籍の旅行者が一年中集まるようになり
結果、外貨で潤う町ができたのです
石畳の道を歩けば旅行者が好む古都の雰囲気と
落ち着いたカフェテリアやレストランが
洒落たバーや土産物屋が融け込んでいます
けれど、小奇麗な壁の隅にはみ出した木っ端や
大地震で瓦礫と化した寺院の残骸など
外貨の溢れる町に潜んでいる不安や貧しさを
ふと感じたりもするのでした
仕事があるとすれば外国人向けの店や学校
さもなくばピストル強盗ぐらいでしょうか

彼はやおら起き上がると私の学習ノートを開き
こんなことを書きました
  僕は真面目でもなく正直でもありません
  僕は悪い人間です
まだ少年の於母影を残す青年でした  (続く)

香泉
kosen.z.hitomi@gmail.com
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