No.35/2007年4月20日
絵と文:香泉

夜半過ぎの船内、人や荷物で窮屈な座席を離れ
私は窓際のヒーターに腰を下ろしていました
氷河に陸路を阻まれる原野周辺の人々にとって
船は日常的な交通手段なのかもしれません
実際、複雑な入江が連なるフィヨルドの航行は
外洋の激しさを忘れさせるほど穏やかでした
私は、冷たく曇った分厚い窓ガラスを手で拭い
ゴムのパッキンで括られた闇に砕け散ってゆく
大粒の雨の滴を眺めていました
夕刻に狩りをしていたあの大きな黒い海鳥は
今頃どこで羽を休めているのでしょうか…

雨に煙っていた夕暮れ時のフィヨルド、それは
眺めても眺めても寒々しくなるばかりでした
そんな灰色の世界に突如現れた黒い海鳥は
風切り羽の先端を飛沫の上がる波間に滑らせ
刃のような鋭さで強靭な翼を翻していたのです
夜の帳が下りた今、あのぎりぎりの滑空も消え
船内にはむずがる子供の声や老人の咳払いが
時折控えめに響いてくるだけでした
窓には水滴でぼやけた私の顔が映っています
ふと、この一晩の船旅が果てのない旅に思えて
私は、雨粒に濡れた真っ暗な窓の向こうに
何か明瞭な輪郭を探してしまうのでした

「太陽だ!」明るい子供の声に顔を上げると
既に闇は解けて白い空に薄日が覗いていました
甲板に出れば柔らかな光を映す入江が広がり
フィヨルドの岩肌がゆっくりと流れていきます
いつしか頭上にはカモメの白い腹も浮かび始め
私は甘い潮風を胸一杯に吸い込んでいたのです

さて、こうして船着き場に降り立った私ですが
果てない旅に思わず息を飲んでいました…
白いふわふわが後から後から降りしきっては
潮風に煽られ大きく空に舞い上がってゆきます
最後に船を降りて来た制服姿の男が立ち止まり
「見事だろう?」と笑みを浮かべています
それはこの季節、風に乗り一斉に旅立ってゆく
タンポポの綿帽子だったのです (続く)

香泉
kosen.z.hitomi@gmail.com
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