No.32/2007年1月11日
絵と文:香泉

春の空から飛んで来た口笛の音を聞き付け
私は思わず上を仰いでいました
空気中を一直線に通り抜けるあの高い音には
口笛で人を呼ぶ習慣を持たない私でさえ
無意識に反応してしまう力があるようです
さて、4階の窓から体を乗り出した男は
その顔には確かに見覚えがありましたが−
何かを持った手を親しげに大きく振っています
何だろうと目を凝らしてよくよく見てみれば
落としたとばかり思っていた私の帽子が
今、頭上でパタパタと振られているのです

彼は数日前、込み合ったレストランで相席の
目の前でパスタを食べていた男でした
自由気ままな雰囲気を持ってはいたけれど
瑞々しさの消えた顔付きはどこか中途半端で
彼の乾いた声も耳障りでした
ソースを口の端に付けたまま空っぽな眼を向け
自分もまた旅人だと言っていましたが
職が定まらずに転々としているようにも見え
私は言葉がよく分からないような振りをして
早々にレストランから出てしまったのでした

「置き忘れたんだ…」と、気づくが早いか
頭上の男はフリスビーでも投げる格好をして
あらぬ方へと帽子を飛ばしてしまいました
何てことをするんだと思っていると
空を飛んでいる帽子は大きなカーブを描きつつ
うまい具合に私のところに向かっています
そうです、あともう少しのところだったのです
ふわっと翻った帽子は横の花壇に落ちてしまい
風に吹かれて花から花へと転がり放題です
満開の花壇で捕まえた帽子は泥と花びらで汚れ
赤白黄色と鮮やかに並んでいたチューリップも
だらりと情けない姿になっています
男が立つ窓辺を見上げてみても
仕方がないさと肩をすくめているだけです
腹立ち紛れに帽子を振り回した私でしたが
男の方では花壇の主人が現れる前に立ち去れと
親切にも手を振ってくれるのでした (続く)

香泉
kosen.z.hitomi@gmail.com
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