No.31/2006年12月8日
絵と文:香泉

「僕の仕事は奇麗じゃないんだ…」
青年は困ったような表情を浮かべると
恥ずかしそうに手のひらを見せてくれました
バスでたまたま乗り合わせた隣人の手です
清潔に洗われてはいましたが
細かな皺の中にまで入り込んだ土や木肌の色が
分厚い手を皮革のように染め上げています
彼の仕事は木材の伐採でした
大きな手を前にボクサーの真似をする私を見て
困り顔をほころばせています
車窓には川べりで草を食む牛が現れては消え
そしてまた別の牛が現れては消えてゆきます
青年は次の現場に向かう途中でしたが
こんなに拓かれた国に森があるのでしょうか?
窓辺を流れるのは若草色の地面ばかりなのです
でも、森から森へと旅をする青年の暮らしから
木々の香が消えることは無いのかもしれません

「キツイけどね、森は気持ちがいいんだ」
隣人からもたらされる森の空気は素朴でした
ひと仕事をいくらで請け負えば何日かかり
そしてそのお金を何にどれくらい使うのか−
拙い言葉でこんなことを並んで話していると
身振りを交えた会話は何とも無邪気で
まるで私達は仲良しの子供同士のようでした

行く手に深い緑が見えてきたときのことです
青年は先ほどの困り顔になったかと思うと
旅はまだ続くのかと私の顔を覗き込んでいます
頷いてはみる私でしたがなぜだか頼りなく
青年と歩く森の空気に思いを馳せていました
気ままな一人旅をしていても
途中下車の出来ない私の心は不自由でした
既に彼の瞳には森がくっきりと映し出され
バスは木立の中に入って行きます
隣人の深いひと呼吸とともにバスは止まり
私の膝に大きな手の厚みを感じた一瞬の後
青年は何かを振り切るように立ち上がると
困り顔の透き間に笑みを浮かべていました
「さあ、仕事だ」…別れの挨拶でした(続く)

香泉
kosen.z.hitomi@gmail.com
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