No.28/2006年9月4日
絵と文:香泉

国境を越えてから何時間が経ったでしょうか−
灼熱の地にはまり込んでしまったバスは
乗客の手を借りなくては動けない有り様でした
乾きと熱で焼けてしまった黄色い景色の中では
畝々と続く車の轍が唯一の道でしたが、バスは
皮肉にもその轍に足を捕られているのです
他の乗客に混じってバスを押していると
草の刺が足元をカリカリ引っ掻いていきます
ふいに私はこの地から出られなくなる気がして
昨日後にした村が無性に恋しくなっていました

「暑いでしょう?はい、どうぞ」
そう言って冷たい水を出してくれたのは
村で唯一の食堂の奥さんでした
格子柄のビニール製テーブルクロスが懐かしく
目の前には箸置きと箸が置かれていきます
ここは、遠く海を渡って来た移民の村でした
農耕機で家に帰る男達の穏やかな顔付きや
戸口の前で立ち話をする女達の前掛け姿
それから事あるごとに見かけるお辞儀にしても
私には幼い日の風景を蘇らせるに十分でした
おそらく、何て事なく交わされる笑顔の中に
あの馴染み深い空気が溢れている為でしょうか
この食堂にしても、親戚か誰かの家で
リビングキッチンにでも座っている感じです
ボールや笊に盛られた立派な野菜や果物に
皿や茶碗に大小様々な鍋や釜に真っ白い布巾
雑多な物が所狭しと配置されては重ねられ
そのどれもが気持ち良く磨かれているのです
ここでは、垢臭い匂いや埃を吹き飛ばすことも
スプーンやフォークの汚れを拭くことも無く
傾いだテーブルや椅子をガタガタさせるような
そんな旅の面白さも悩ましさもありません
ただ、「帰る所」…それがあるだけでした

「さあ乗ってくれ」運転手の手招きに
ようやく砂埃を払うことのできた私達です
バスが走り出すと流れる風は案外気持ちが良く
家や街を近くに感じ始めているのか
みんな、思いの他にこやかでした (続く)

香泉
kosen.z.hitomi@gmail.com
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