Monthly Essay オーイ! 絵と文:香泉

〜その9〜
2011年2月19日



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香泉の旅物語「ゼロの細道」

chapter-1 惑星の輝き
chapter-2 青い故郷の風
chapter-3 深海の闇より
chapter-4 親愛なる君へ
chapter-5 エヴァーラスト
chapter-6 スピリッツ


天道様、近ごろは雲がよく出るようになり、空模様の移ろいを感じます。行きつ戻りつも、春は柔らかいと思うこの頃です。

ころで、私は水仙の花についつい春の明るさを期待してしまうのですが、なのにいつも「はてな?」と首を傾げています。
ええ、年明け頃からずっと花を咲かせている日本水仙のことです。
この花、期待とは裏腹に、どうも春を思うには寒々しい立ち姿のような気がして、むしろしぶとさの方が目についてしまいます。風に吹かれているところなど、まるで原野に生きる野生動物です。
冬の朝には、霜にまみれた花をうなだらせてはいても萎れもせず、日中でさえ、青々と伸びる葉っぱも黄色い花の中心も、みごと冬枯れの景色に紛れています。
太陽を浴びて真珠のように輝いているところなど、春のイメージよりは、冷たい風を楽しんでいるといった風情かもしれません。
ただ日本水仙の甘く軽やかな芳香を思えば、やはり何か期待めいた楽しさが呼び起こされるのもまた事実なのですが。

う、この冬の香りに出会ったのはいつだったか…。あれは勤め人でごった返す乗り換えホームでした。

とんどの人が黒っぽいコート姿で行列を作り、寒そうに肩をすくめている待ち時間、私は少しだけ行列から外れ、鉄柱に寄りかからせた大きな荷物を見ていました。
口の開いた包みの上から日本水仙の小花が覗いています。持ち主は一体どこにいるのやら、すっかり放ったらかしです。
丸みのある下部分からすると、砂袋か何かに土ごと収めているのでしょう。側面は新聞紙でぐるりと巻かれ、紐で縛っただけの素朴ないで立ちでした。
全部水仙らしく、思い出したように良い香りが漂ってきます。大きさは、縦走登山用の縦型ザック程もあるでしょうか。
鉄柱に預けてはいてもやはり見るからに危なっかしく、誰かの足を借りなくても重心は崩れそうでした。

てお天道様、案の定グラリときて、全くどこにいたのか、緑と白の大柄なチェックのネルシャツが飛び込んで来たのです。
この軽装の主は子供のように小柄な男でした。
ネルシャツは素早く荷の側面に両手を回し、ズリッ、ズリッと重みを鉄柱に押し付けています。小柄でありながら膝を十分に曲げ、腰をしっかり入れています。
花に気を使っているのか、反り気味の首には、皺に挟まれた肉が少しばかり盛り上がっています。たぶんそんなに若くはないのかもしれません。
でも実に身軽そうです。荷物に負けじと踏ん張っている姿はそのまま子供が遊んでいるようで、刈り上げ頭にちらちら覗く白髪でさえ、なんだか楽しそうに光っています。
もしもこれが相撲の稽古なら、さしづめ相手は新聞紙を着込んだダルマさんでしょうか−。

際、黒っぽい景色になりがちな冬の乗り換えホームです。緑と白の大柄なチェックはひときわ明るく、しかもいきなり始まった荷物との押し相撲!
ふとした弾みに漂ってくる芳香もあいまって、私には楽しい乗り換えホームとなったのです。

っとも荷が安定したと見るや、ネルシャツはさっさとぶらつきに行ってしまい、これは私には解せないことでした。
どのみち不安定な荷姿ですし、すぐにグラリとくるのは分かりきっています。こんな僅かな待ち時間、電車が来るまで手を添えていればいいだけのことなのです。
あの人はじっとしているのが苦手なのかしらと、私はそんな余計なことを考えつつも、まさかこの唐突な押し相撲が、あの懐かしのダルマさんごっこのように何度も繰り返されるとは思いもしませんでした。
私はもうすっかりネルシャツのダルマさんごっこに引き込まれ、次第に狭まってくる「グラリ」のタイミングを、ただただ期待一杯に見つめるばかりでした。

「何本か抜いてあげてもいいんだけど、ばらけちゃうかなぁ…」
呟き声は、緑と白のカラフルな背中から聞こえてきました。
最初は独り言かと思ったのです。でも今、ネルシャツはこちらを振り返っています。
「小屋の前に水仙が一杯咲いててね、持って帰ってきたんだ」
一体どれだけ掘り起こしてきたのか、新聞紙の合わせ目が開いて横からも小花が覗いています。先程からのダルマさんごっこで包みがズレてしまったようです。
この人は、私が水仙の花を欲しがっていると思い違いをしているのでしょうか…。いえ、きっとネルシャツが荷物と格闘している間中、私は好奇心丸出しの顔を向けていたはずです。ひょっとすると笑ってさえいたかもしれません。
目の前では、小柄な体に似合い過ぎる童顔がなんとも爽やかにほころび、野の香りが通り過ぎてゆきました。

顔さんは小屋と言っていましたが、どうやら田舎に小さな別荘を持っているらしいのです。週の半分は草を刈ったり枝をはらったりと、庭だか山だかの手入れをしがてら、野遊びを楽しんでいるそうです。
「若い頃からの夢だったから−」
不安定な荷がようやく持ち主の肩に背負われています。
新聞紙の合わせ目から覗く小花の数がまた少し増え、日本水仙の匂いもより魅力的に私の鼻先へと漂ってきました。

あ、これから乗るのは鬱陶しい満員電車です。出来ることなら気持ち良い物の側にいたいと思うのは人情でした。いくら邪魔くさくとも、野の香りに溢れた荷物と折角出会えたのですから。
乗り降りの激しい混乱に乗じて、私がこの他愛ない欲求を達成させたのは言うまでもありません。

て、込み合う車内でそれぞれの居場所が定まった頃、新聞紙のズレは更に大きくなっていました。今や覆いから解放されつつある花達は生気に溢れ、私は思った通りの立ち位置に大満足でした。
何よりこうして日本水仙と向かい合ってみれば、地味な小花も案外可愛らしいのです。野で見かけるイメージとはまるで違い、まぁ無邪気にも、新聞紙から飛び出しては光を振り撒いています。
当然そのすぐ先に見えるのは、横向きの童顔とこざっぱりした刈り上げ頭でした。

れにしてもこの童顔さん、包みがズレてしまっているのにまるで気に掛けている様子がありません。こんな満員電車で荷崩れしたら大変なことです。
ホームでは荷物も放ったらかしだったし、結構無頓着な人かもと、またしても余計なことを考えている私でした。
水仙と向き合ってはいても、なぜか目を引くのはすぐ先でちらちらと光る刈り上げ頭の方でした。よくよく見れば白髪の切断面がハッキリと識別でき、やけに奇麗な刈り上げだったのです。
どこかで散髪でもしてきたのでしょうか…?
もちろん満員の車内、私は黙っていました。
童顔さんはと言えば、こちらを向くでもなく後頭部を撫でています。
「こっちでは奥さんと床屋をやってるもんだから、明日から4日間は人間の頭を刈らないとね」…と!

天道様、合点がいくとは全くこのことでした。
私は心の中でおおいに手を打ちながら、またしてもやってしまった無遠慮な視線が恥ずかしいやらおかしいやら。自身の失礼などどこかへ放ったらかでした。
次の駅でネルシャツの背中は水仙の山を連れ、人波と共に下車してしまいましたが、小花達は混雑の中でも陽気に揺れて、その明るさが印象に残っています。
きっとあそこにあなた様がいたのだなと、これは今にして思うこと。
あのとき空いた車内に残った私の頭には、辞退したおすそ分けの日本水仙が浮かんでは消え浮かんでは消え。
正直、惜しかったな…と。

◆お裾分けは エッセンスかも 小花より 湧く香は脳裏に 転写してなお



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