Monthly Essay オーイ! 絵と文:香泉

〜その12〜
2012年2月11日



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香泉の旅物語「ゼロの細道」

chapter-1 惑星の輝き
chapter-2 青い故郷の風
chapter-3 深海の闇より
chapter-4 親愛なる君へ
chapter-5 エヴァーラスト
chapter-6 スピリッツ


天道様、今年は随分と寒い冬になりました。
あなた様にお話ししたいことがずっとあったのに、私ときたら目先のこともできずにジタバタしてばかり。そうこうするうち季節はどんどん変わり、とうに年も越えてしまいました。
気が付けばただ今冬枯れの真っただ中です。
こんな調子では、私の呼び声があなた様のもとに届いた頃には春を迎えているかもしれません。


て、少々前の話となってしまいましたが、知人から段ボール箱一杯の柿を頂いたのは…、そう、あれは12月の上旬頃だったでしょうか。
段ボール箱一杯と言っても柿の実の箱詰めではなく、ところどころから切りっぱなしの枝が飛び出しているような野趣溢れるものでした。

枝の切り口からは生きた木の匂いが存分に発せられ、わさわさと茂った乾きかけの葉っぱにしても、その隙間から顔を覗かせている小粒な実にしても、いまだ呼吸を続けているらしいことが分かるほど、段ボール箱の中は清涼感に溢れていました。

ごわつく葉に気遣いながら箱の中身を選り分けていると、枝払いをしている庭先の風景や、垣根を越えて散らかった葉っぱなどが色鮮やかに蘇り、そうした場所を通りかかったときにいつも感じるスースーした空気が、実は柿の芳香だったことに今更ながら思い至るのでした。


速一つ色づいた実を食べてみたところ、なぜかお世辞にも美味しいとは言えません。
折角の頂き物でしたし、まさかと思いもう一つ皮を剥いてみましたが結果は同じ。味が浅く、渋みもなければ甘みもほとんど無かったのです。

「初めて実をつけたので〜」という手紙を読みつつ、知人はこの柿を食べたのかしらと首を傾げたり、実の味わいと木の成熟度とが比例するのかもしれないと考えてみたりと、しばし私はあれこれ思いめぐらしていました。

ひょっとするとお天道様、知人がわざわざこうして送ってくれたものは、実りのおすそ分けではなかったのかもしれません。
何か「ある日の空気」とでも言えそうな、風情の類だったのではないでしょうか―。


ぁ、味覚に訴えなかったことは少なからず残念でしたが、何といってもそこは季節の風物でした。
知人の思いがどこにあったにせよ、部屋に置いておくだけで柿の木の深呼吸に触れているような清涼感が広がり、お抹茶などを立ててみれば、それはそれで心地よい一服を楽しむこともできました。

ただお天道様、この一服の心地よさの後に発生した現実的な煩わしさを思うと、結局はゴミになってしまう形ある物の行く末を、世の風流な方々は一体どのように許容しているのかと、正直不思議にもなったのです。


々とこわばってくる葉っぱや樹皮からは日ごとカスが排出され、あんなに茂っていた葉っぱは見るも哀れ、欠けたり縮れたりしながらその数を減らす一方でした。
しかも葉が減れば減るほどカスは増えて細かくもなり、掃除の際に窓など開けようものなら、それが塵となってコロコロボロボロ部屋中に広がってしまうのです。

これではある日の空気どころかその辺の道端そのもの。風情も何もあったものではありません。
ましてや届いた当初の柿らしい芳香も加速度的に無くなる訳で、とすればこれ以上部屋に置いておく理由がどこにあるでしょうか?


かしお天道様、これは仮にも頂き物です。右から左に捨てるのは気が引けました。
ならばひとつの試みとして、これらの枝をベランダに括り付けて小鳥たちを集めてみようかしらと…、ええ、これは楽しい思いつきでした。

ベランダの前には、おあつらえ向きに本物の大きな柿の木が枝を伸ばし、幸いにも実は取り払わられていました。生きた木の枝と繋がるように括り付けられれば、きっと鳥たちは切り枝の実を食べにやって来ることでしょう。
不味かった実も熟れてきていましたし、こうすれば風情だって無駄にはなりません。野鳥の絵が描ければ一挙両得です。


ころがお天道様、いざ始めてみると、そう簡単に枝は括り付けられませんでした。水分を含んだ柿の実は重く、滑りやすい手すりに思い通りに固定させようなんて到底かなわなかったのです。

そもそも枝が強情でした。生きていた当時の立ち姿を留めていますから、それ以外の向きに括り付けようとすれば、あちらに傾きこちらに傾きの繰り返しです。たとえ切り枝とは言えあなどれません。

結局、「生きた柿の木と繋がるように」とはいかないままに、枝は無理やりベランダの手すりに縛り付けられました。そうして部屋に引き返した私は、柿の実をついばむ小鳥たちの姿を想像しながらワクワクしていた次第です。


天道様、今から思えば私のこの姿は、「捕らぬ狸」か「待ちぼうけ」といったマヌケさだったのかもしれません。全く鳥たちときたら、折角苦労して括り付けた枝には近寄りもしなかったのですから。

警戒をしているのかと思いしばらく放っておいてもみました。

その日が暮れ、朝になっても柿の実をつつく鳥の図はどこにもなく、数日がたっても状況は変わらずじまい。うちの切り枝は完全に素通りでした。
悲しいのは、生きた柿の木の方には実がもう無いにもかかわらず、ちゃんと鳥たちが来ていることでした。

だからメジロの一羽がようやくベランダの柿のヘタに止まってくれたとき、そしてツンと嘴を動かしたときのうれしさといったら!…でもお天道様、それはほんの一回きり。
やっぱり括り付け方がマズかったのでしょうか?
それとも不味いのは実の方だったのでしょうか?


うこうしてベランダに出ようとしたある朝のこと、とうとう柿の実がひとつ、ふいに枝から離れていきました。そして更にもうひとつも、アッと思う間の短い落下でした。

そっと階下を覗くと、熟れきった果肉がみごとに一階の庭先を汚しています。よほど熟れていたのでしょう。派手に飛び散ってしまいました。
私が物音を立てないよう、そそくさと枝を片付けたことは言うまでもありません。もちろんここだけの話しですが…。


れにしても鳥たちは、どうやって美味しい実と不味い実を選別しているのでしょうか?

枝の括り付け方の上手い下手は置いておくとして、ベランダの柿の実をつついて味見をしたのはたったの一羽、しかもメジロだけです。
それが原因で全ての鳥が見向きもしなくなるなんて、なんとも解せません。もっとも個体が判断する匂いや色以外に、鳥達のネットワークでもあるのなら別ですが…。

ともあれ部屋に置いてもベランダに括り付けても、本当に不味い不味い柿の実でした。


だお天道様、柿の実がふいに枝から離れた、あの熟し切った最後の何気なさからすると、不味いなんていう私の都合はどれ程のものでもないのかもしれません。

果実が更なる生を繋ぐのは必然でしょうし、時の移ろいと言えばその通りなのでしょう。
でもそんな言葉以上に楽しさを残してくれる何気なさでした。私の時間まで一緒に動き出したように、思い返すたびに明るさが広がってくるのです。
そうそう、柿色が飛び散った地面もことのほか賑やかでしたし。


◆葉は塵に 鳥の図も泡と 消えた柿 ふいの落下に 種、春を待つ


天道様、「捕らぬ狸」に「待ちぼうけ」、こんな風情も有りでしょうか―?


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