Monthly Essay オーイ! 絵と文:香泉

〜その11〜
2011年9月30日



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香泉の旅物語「ゼロの細道」

chapter-1 惑星の輝き
chapter-2 青い故郷の風
chapter-3 深海の闇より
chapter-4 親愛なる君へ
chapter-5 エヴァーラスト
chapter-6 スピリッツ


天道様、近頃は虫の音もよく響き、すっかり空が高くなりました。
今年は本当にムシムシと雲の多い日々が続いていましたから、こんな高い空がちゃんと控えていたのかと思うと、それだけでうれしくなります。
ついこの間まで積乱雲が現れない日はなく、たとえ頭上が晴れていたとしても、気が付けばいつも分厚い雲に囲まれていました。
来る日も来る日も空気はベタベタで頭はフラフラ、散歩に出ても不快で仕方ありませんでした。
ただ日暮れ近く、甘い色を映した入道雲の連なりや、その下を流れる幾層もの黒い雲を眺めているときなどは、頭上の光景でありながら、こんな風景がずっと大昔からあった気もして、創生の地上に佇んでいるかのような感覚を残したものでした。

園の池に浮く幾つかのふわふわを目にしたのも、やっぱりそんな蒸し暑い日のことでした。
そのふわふわは景色に溶け込むような茶色で、どれも片手のひらに納まるほどの他愛ない大きさでした。
曇り空の下、似たり寄ったりのふわふわが、池の中ほどで浮いているような流されているような、そんな頼りない感じだったでしょうか。

天道様、この他愛ないもの達、これらはまだ生まれて間もないカルガモの雛達でした。公園の池で孵ったらしいのです。
綿毛に包まれた雛の体は見るからに軽過ぎ、生き物が持つ重さというものを全く感じさせませんでした。
ちょっと目には水面に浮く枯葉のようでもあり、よくよく見たら見たで未知の生物のようでもあり、もしやカルガモの雛かしらと思ってはみてもどうも実感がわかず、私は、繰り返し繰り返し目を凝らしていました。

◆ふわふわに どこから来たのと 問うてみた 「カルガモ星」とは いづこにありや


近で確認できるまでの束の間、私にとってふわふわ達との出会いは、“あらぬ生き物達との遭遇”だったような気もします。
私の頭は、創生の地上にすっぽり入り込んでいたのでしょうし、だいたいこの綿毛の雛達、間近で見てもなお、妙に軽すぎる存在感からすれば、鳥というよりは虫っぽい気配でもあったのです。

の反対側に行ってみると、すでに綿毛が生え変わりだしている雛達もいました。
全く恐れも知らず、勝手気ままに泳いだり走ったり。あまり自由にしているので、一体どの成鳥が母ガモなのか見当も付きません。

方、まだ綿毛に覆われた雛達は、母ガモに付き添われての水上行進です。小さいながらもエサは自分で採っているらしく、盛んに池の石垣を突っついています。
あんな綿毛ではまだ飛べそうもありませんが、きっと、行動そのものは自立しているのでしょう。

天道様、カルガモの親子というと、私はこれまで、母鳥を先頭に子ガモ達が列を作って後ろからついてゆく〜というイメージを抱いていました。
ところが水面のチビ達ときたら、気の向くまま興味の赴くまま、放っておけば好き勝手に進んでしまいそうで、決して列など作ってはいません。
母ガモは、そうした雛達がバラバラにならないよう何気なく幅寄せをしながら、進行方向を修正して、横や後ろで見守っている様子なのです。
雛達が地上に上がってヒョコヒョコ歩きを始めれば、母ガモもそれについてヒョコヒョコ歩くといった具合にです。
役回りとしては、子供達を見守る保育士のようにもうかがえますが、その様子は実に寛容です。
ただ、雛達全てが大きくなれる訳ではなかったということも、ええ、それは当然と言えば当然でした―。

園を訪ねる度、一羽二羽と雛の姿が見えなくなり(池の反対側で自由にしていた雛達は無論のこと)、台風の後には、とうとう一羽だけしか見当たらなくなっていたのです。
公園の池という人工的な環境であっても、そこはやはり屋外です。小さな雛にしてみれば、危険が一杯だったに違いありません。
天候が急変することもあったでしょうし、カラスや猫が襲ってきたこともあったかもしれません。 水も緑も豊かな場所ですからヘビぐらいいるかもしれず、他にも思いがけない動物たちが姿を見せていたことでしょう。

「ねえ、もっといたよね、カルガモの赤ちゃん。みんなどこに行っちゃったの?」
聞こえてきた声はまだ小さな男の子でした。池の柵の間から顔を覗かせ、カルガモの親子を見ています
男の子の後ろで足を止めた女性がお母さんなのでしょう。
母親は一瞬固まったように池に目をやり、
「さ、行くわよ。昨日来たときも一羽だったわ。」
と、たったそれだけの言葉も言い終わらぬうちから、ひとりで歩き始めてしまいました。

天道様、こんなとき私達人間には、どんな答えが用意されているのでしょうか?
私だって雛達がいなくなったことを仕方ないとは思えても、どこまで納得できているかと聞かれれば、やっぱり仕方ないと答えるしかありません。
あんな子供らしい不意打ちにあっては、しかも小さな子供に雛の死をどう説明したら良いものか、ましてやどこに行ったかなんて、お母さんとしては答えに詰まるのも当然だったかもしれません。
男の子は、「なんで?」を背中に貼り付けたまますぐに母親を追っていきましたが、母親の頭の中には、一体どんな思いが駆け巡っていたことでしょう。

っとも雛が一羽になれば、そこに注がれる母ガモの注意力の差が、歴然と見て取れるのもまた事実でした。 母ガモは、活発な時期に入っているらしい雛の傍にピタリと寄り添い、片時も目を離しません。
雛の方はそれを知ってか知らずか、とにかく動くものに向かってあちらに突進こちらに突進と、バシャバシャ水面を波立たせています。 全く目を見張るやんちゃぶりです。
雛にしたら、アメンボにトンボに小さな羽虫にと、目標物には事欠かないのでしょう。
入れ代わり立ち代わり標的を見つけては、その度に水泳選手のラストスパートよろしく、すごい勢いで水上を駆け泳いでいます。
これでもかというほど目一杯首を前に伸ばし、さも集中力をみなぎらせた捕食者のごとく、平たい嘴から尾羽の先まで一直線!〜といった具合です。
まるで左右の脚ヒレがスクリューにでもなってしまったかのようで、突進するその姿ときたらマンガそのものです。
これだけ元気なのですから、きっと食欲も旺盛なのでしょう。
今までのふわふわからすれば、幾分カモらしくなってきたような気もします。


うこうして日が経ち、公園の池にはまたしても綿毛の雛達が泳ぐようになりました。
お天道様、母ガモは他にもいたのです。
確かにこの調子で毎度毎度雛が育ち、全部が親鳥になってしまっては、どこもかしこもカルガモだらけになってしまうことでしょう。
この、後から生まれた雛達にしても、結局1羽だけしか残りませんでしたし、仕方ないと思う以外無いのが、自然の理というものかもしれません。

れはともかくとして、綿毛の雛達はやっぱり可愛いのでしょう。
若い女性がパンをちぎってあげています。
水面を見れば、ふわふわのおチビさん達が足ヒレをせっせと動かし、パンくずを求めてちょこまかと泳ぎ回っています。
そしてその足ヒレを追ってカメが浮上してきたかと思えば、一体何を勘違いしているのか、カメの口先が雛の足をツンツン突っついていたりして。
すると、やおらカメの横にやって来た母ガモ、嘴の先で水中に浮くカメの甲羅を横に押し始めるのです。
「あっちへ行け」ということでしょうか。
カメは実に素直にあっちへ行くべく、ヨタヨタとした泳ぎを披露してくれるわけで、なんとものんびりとした池の風景です。
雛達の厳しい現実があったとしても、やはり平和は平和なのでしょう。

ころでお天道様、この親子ガモ、どうも人間から貰うパンがすっかり気に入ってしまったようです。
最初に出会った別親の子ガモも同様らしく、この間はコイやカメまで一緒になって、池ではちょっとしたパン食い合戦が始まっていました。
あ、でもお天道様、この別親の子ガモは、既に綿毛も生え変わり成長もしていましたから、姿形からすれば「小ガモ」と言うべきかもしれません。

っ掛けは、一羽だけになってしまった雛が、自分に投げられたパンを目指してちょこまかと泳ぎ回っていたときのことでした。
もちろん母ガモも、いつものようにすぐ傍で泳ぎながらパンくずをつまんではいたのです。
それがどうしたことか、雛が水面のパンに嘴を突き出したところで、突如太い首がにゅっと伸ばされたのです。いつもなら雛を見守っている母ガモです。
雛はびっくりしたのか首を引っ込め、白いパンは瞬く間に大きな嘴の中に消えてしまいました。 母ガモはのどを震わせながらパンを飲み込んでいます。
その仕草がとても満足気というよりは恍惚という感じで、パンはかなり美味なのかもしれません。 みごとにしてやられてしまいました。

振りをした綿毛のおチビさん、今度は別のパンを求めて再び足ヒレをせっせと動かしています。
ところが今度は、巨大な金色のコイがするするっとやって来たのです。雛の行く手は完全に遮られてしまいました。 やむなく雛は方向転換、コイはコイで大きな口を開けたまま、悠々と白いパンに向かっていきます。
これはもうコイの独壇場だと思いきや、なんと遠巻きに見ていた先の「小ガモ」が果敢にもコイに近づき、突然バタバタっとコイの背中に乗り上げ跨いで、白いパンへと首を目一杯伸ばしたのです。 しかも足ヒレから嘴の先まで全身全霊の一直線を描いたまま、すんでのところでパンをキャッチです。
お天道様、これは拍手喝采でした。
散々に水面を波立たせていたあのやんちゃ振りと、繰り返し標的に向かっていた駆け泳ぎとが、こんなところで役に立ったのですから。
「小ガモ」にしたら得意満面の瞬間でしょうか―。

方、綿毛のおチビさんはどこかのんびりしているのか、なかなかパンが食べられません。
千切られたパンのほとんどが、明らかにこの雛を目がけて落とされていたのですが、ふかふかしたパンは、それでなくても小さな嘴には納まりにくいようでした。
折角くわえかけたパンくずも上手く口に入ってはゆかず、ほとんどが嘴から逃げてしまっていたのです。
そこへ、ヨタヨタと浮上するのがまたしてもカメでした。
水面に向かって口先をプカプカと開け、粉々になったパンを食べているようで、カメもパンが好きなのでしょうか?

天道様、こんなのどかな水面のパン食い競争も、ひょっとすると秋の訪れのひとつなのかもしれず、冬に向かってみな必至なのだと思えなくもありません。
私にしてもここ最近は、創生の地上だと思っていたあの風景が、ひょっとすると終末の風景だったのかしらと考えたりすることもあり、秋の空気がそうさせるのかなとも思うのです。
夏はとうに終わってしまいましたが、遠くの空には今も積乱雲が望めます。
台風はまだこれからも来るでしょうし、果たして最後に残ったカルガモの雛は、秋の台風や気温の変化を乗り越えられるものかどうか。
もっとも公園の小さな池です。2羽の子ガモが育てば、それだけでも十分すぎると思うのですけれど。

◆創生の 地より連なる 雲ゆけば 水面にさらり 秋風が吹く


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