Monthly Essay オーイ! 絵と文:香泉

〜その10〜
2011年6月23日



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香泉の旅物語「ゼロの細道」

chapter-1 惑星の輝き
chapter-2 青い故郷の風
chapter-3 深海の闇より
chapter-4 親愛なる君へ
chapter-5 エヴァーラスト
chapter-6 スピリッツ


天道様、こうしてあなた様をお呼びするのも久しぶりのことです。
3月の大地震から緊急事態に入っていた私のアンテナも、今では大分緊張が解けてきたような気がします。
地震への警戒は依然無くなりませんが、常に緊張状態で居続けることは、やはり生き物として無理があるのでしょう。
たぶん雑木林に引かれたのも、そうした緊張が切っ掛けだったのだと思います。

地震による不安や緊張で一杯だった春、公園で眺める雑木林は瑞々しく生きていました。
もちろんどこの庭木も街路樹も季節の移ろいのただ中でしたし、様々な花が町中に咲き広がり、どんな草木だって春を謳歌していたはずでした。
でも私は雑木林から運ばれてくる風が好きでした。
その風は、公園の緩やかな傾斜を上りながら広場の草や木々をそよがせて、辺り一面に春特有の甘くスースーする匂いや、湿った土の感触を満たしてくれていました。
風が撫でてくれてるとでも言うのでしょうか。私には何よりもホッと出来るひとときだったのです。

天道様、緑は柔らかいものですね。

今年の梅雨は、当初太陽があまり出ていなかったせいもあるのか、しっとりとした木々の姿が長く続いていたように思います。
それでもすっかり葉陰は深まり、芽吹きが勢いづいていた頃の、あの水煙を吹き上げているような清涼感は早々に消えてしまいました。
しかも近ごろでは、何やら色々な生き物の気配がそこかしこに立つようにもなっています。
私がぼんやりしている間にも、雑木林は着々と成長し移ろってゆくようです。

そう、雑木林は公園の奥、緩やかに下る芝生の広場の向こう側に控えています。
芝生に下ってゆくと、草の感触や土の温もりがなんとなくうれしく、少し自分が大きくなったような気がします。
たぶんあなた様を身近に感じ、幾分勇気が湧くのかもしれません。

天道様、草の生える土もまた柔らかいものですね。

芝生の広場は思いのほかデコボコで、お馴染みの草が一杯です。うっかりよそ見に夢中になっていると躓いてしまいます。
子供の頃に首飾りを編んだ草や揺すって遊んだ草、それに食べられそうなものだってあります。
足元からは虫が跳びはねたり飛び立っていったりと、平和なようでも案外賑やかな雑草広場です。
こんな梅雨時期は、ほんの少し歩いただけで靴もズボンもビショ濡れで、でも水たまりができている訳でもなく、景色として眺めてみれば緑の地面に違いはありません。
草の茂る広場は意外なほど、水を湛えているようです。
私がもし地面に暮らすダンゴムシだったなら、きっと重なり合う草の隙間からあの空を眺めていたことでしょう。
ダンゴムシの私からすれば、この広場だって雑木林と言えなくもありません。

とは言っても人間の大きさに戻った途端に芝生の広場が目に映り、そして広場の周りにはちゃんと歩道があるのです。
足を濡らし、時々躓いている私は少しばかり子供帰りをしているか、でなければ道草に明け暮れる犬か、まぁ、そんなところでしょうか。

て、雑木林に近づくごとに増す蔭も、木々の足元まで近づいてしまえば案外隙間が多く、もちろん手入れのされている雑木林ですから、ひどく鬱蒼とはしていません。
それに枝と枝の、触れ合うか触れ合わないかの微妙な距離感に、それぞれの木がちゃんと反応しているようです。ただ、木には木の力関係があるのでしょう。
伸びやかな木もあれば縮こまって痩せた木もあり、中には枯れた枝をぶら下げたまま、縮れた葉っぱをただひらひらさせているものもあります。
樹木だって病気になれば、こうして静かな時を過ごしたりするのかもしれません。
一方、実をつけている木は大変な喧噪です。こんもりとしたその中で、鳥が賑やかに鳴き交わしては、枝から枝へ飛び回っています。

たった一本の根元から始まる木でありながら、すっかり大きな家になってしまうのですから、この命のスケールには驚きです。
辺りに目を転ずれば、枝の間や葉っぱの小さな隙間にまでびっしりと光るクモの巣に羽虫の大群、そして足元でガサゴソと何かが隠れる音や頭上で響く鳥達の声。
公園の奥に残された狭いエリアとは言え、この季節、雑木林自体が大きな生き物に成長しているようです。

虫の大群をはらいつつ、枝々が作り出すトンネルの中を歩き始めてみると、虫食いだらけの葉っぱがここにもそこにも一杯です。
頭上の葉の重なりにしても、穴だらけのレースを透かし見ているような有り様です。
お天道様、私のこの頭上の葉に隠れ、今一体どれだけのイモムシや毛虫が食事を楽しんでいることでしょうか。
数はどうあれせめて今だけは、イモムシ達が間違っても落ちて来ないよう祈るばかりです。

頭上の葉がふいに揺れ、目の端に何か白い物が光りました−虫でしょうか?
羽子板の羽根のようにクルクルと回転し、地上へと真っすぐに、そしてゆっくりと降りてくる何か−鳥の羽毛でしょうか?
目を凝らしてみましたが、どんな形でどんな模様をしているのか見定めることはかないません。思いのほか回転が速いのです。
でも白く光る様子がとても奇麗でしたから、私は目を凝らすのをすぐに忘れ、それが地面に降りきるまで暫し見とれていました。
一体何だろうという期待を込めて。

結局、羽根のような物は音も無く地面に止まり、すぐにハラリと倒れてしまいました。
こうなれば見定めるのは造作も無いことです。手に取るまでもなく、それはモンシロチョウチョウの羽でした。
丁度羽の下、斑紋があっただろう所に穴が穿たれ、虫らしい体は哀れにも無くなっていました。
鳥に食べられてしまったのかもしれません。

天道様、私もこんなふうに死んでしまう時が来るのでしょうか?

いえ、悲観的になっている訳では無いのです。
生よりも死の方が多くあるのが自然界の理なのかなと、そう思っただけなのです。
3月の大地震や大津波でも沢山の命が失われました。その破壊は人間世界に限った話しではなかったことでしょう。
おそらく私達が気づかないところで思いもかけない破壊があったでしょうし、数え切れない程の生き物の死だってあったに違いありません。
よく言われるような「生きる権利」が、自然界のど真ん中で通用するはずもなく、そのくせいつ何時どんな死がやってくるのか、私達生きているものには知る由もありません。
生きていることがついぞ割り切れなくも思え、何が楽しいのか悲しいのか分からなくなることだって、ええ、無い訳ではありません。

こんなに当たり前に生きていても、実は死がとても近くに沢山あるのですから、お天道様、私はやっぱり怖いです。

んざくような鳥の声に足を止めると、ヒヨドリがすぐ上の枝から桑の実をさらい、サッと飛び去ってゆきました。
まだ青い実なのに食べてしまうようです。全く何でも食べてしまうヒヨドリです。
再び歩き出してはみたものの、お天道様が死を思うなんてことがあるのかしらと、ふとそんな疑問符に行き当たって足を止めると、今度は草の間からムクドリが飛び立ってゆきます。
続いて二羽三羽と何羽かが続き、かなり賑やかなムクドリです。
この鳥も随分増えているようですが、ヒヨドリ同様、何でも食べるのでしょうか?
ま、それはともかく旺盛な鳥達にしてみたら、「生きてることがついぞ割り切れなくも思えて」なんていうもやもやした私の感情は、それこそ腹の足しにもなりません。
そもそもこんな人間臭い言葉が、お天道様にだって通じるものかどうか…第一、死を思い悩みつつ生きるというのも妙な姿です。

天道様、なんだかあなた様が遠くなったり近くなったり、でも風が優しいです。

雑木林の帰り道、見るからに放ったらかしの植え込みから、青紫の蝶々が2匹、もつれ合いながらヒラヒラ飛んでゆきました。
元々は何が植えられていたのかと、謎解きをしたくなるほど雑多な草が生い茂っている植え込みです。これもミニチュア版の雑木林かもしれません。
その中でどうにか咲いていた紫陽花は珍しく八重。おやと思い覗き見てみれば、ヒラヒラと青紫に色づいた額は、沢山の蝶々が集まっているようです。
先ほどの蝶々達も紫陽花のひとひらになりすまし、ここで羽を休めていたのでしょうか。

◆植え込みに 八重紫陽花の 隠れみの 蝶々ヒラリと 薄日を散らす

天道様、生も死も皆それぞれのものだと言えば、確かにそれはそうなのかもしれません。
けれど雑木林に行ってきた後は、もっと大きな息づきの中で生きているようなゆったりした感覚が残ります。
この命もそうちっぽけではないような気もして…お天道様、そうではないですか?

◆紫陽花の 玉より離れし 蝶々の 羽色染みる 青葉の上にて


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